えだにく【枝肉】
家畜を屠殺(とさつ)後、放血して皮をはぎ、頭部・内臓と四肢の先端を取り除いた骨付きの肉。普通、脊柱に添って左右に二分したものをいう。
(大辞林 第三版)
こんにちは、こんばんは、おはようございます。ちよイモです。
梅雨真っ盛りですね。学生の頃は「湿気で髪がうねる」なんてフレーズとは縁遠いほど髪がサラサラで強かったのに、大人になるにつれてヘアケアしてこなかったツケが回ってきました。外に出るだけでモッサモサ。
そんな小雨が降る休日に、舞台「エダニク」を観劇しに浅草へ行って参りました。
出演者はたったの三名。
大鶴佐助さん(アイドル×戦士ミラクルちゅーんず!miracle2ヘアメイクのコジローさん)
中山祐一朗さん(魔法×戦士マジマジョピュアーズ!愛乃モモカのパパ)
という一部の特オタ大興奮の布陣でございます。一部というか主に私が。推しライダー(と同時に推し俳優)と推し番組の出演者ですよ。放送時間がライダーと被ってるのでリアルタイムで見られない人はあにてれ(テレ東公式配信サイト)かタカラトミー公式Youtubeチャンネルでガールズ×戦士シリーズをぜひ見てください。最新話が1週間無料で見られるから。今ならHuluとNETFLIXでもシリーズ第1作目が見られます。個人的に今一番アツい特撮コンテンツです。よろしくお頼み申す
そんなことより舞台の感想です。以下、本編の内容に触れています。
舞台は食肉加工センター。そこの職員である沢村(稲葉友)と玄田(中山祐一朗)、センターの取引先新入社員の伊舞(大鶴佐助)が別屠室で出会う。何気ない世間話から始まり、少しずつ熱を帯びていく会話。その間、他の屠室で厳重に管理されているはずの牛の延髄が紛失する騒ぎが起きる。さらにヒートアップして会話は議論になる。生と死、命とモノ、働くということ、守るものを持つということ。そういう日常的に意識はせずとも生きていくうえでいつか必ずぶち当たる事柄を拳に固め、顔面めがけてストレートを打ち込んでくるようなステージでした。
ちなみに屠殺というのは、牛や豚を食肉や革製品なんかに加工するために殺すこと、屠場はその名の通りそれらを屠殺・解体する施設のことです。私はこの舞台に出会って初めてこの言葉を知りました。難しい単語使いたがりオタクなので「屠(ほふ)る」って単語は知ってたけど。
まず会場入りして客席に着くと聞こえるBGM。ここからすでに演出が始まっていて、開演時間ちょうどに終わった曲の直後に聞こえてきたのはラジオMCの声。そっかーこれは屠室で流してるラジオの音声だったのか。もうすでにここで舞台にグンッ!とひき込まれた。番組名はどっかで聞いたことあるような「ALL GOOD EVERYDAY」…アッこの番組って金曜だけじゃなくて毎日4時間半生放送してるの?すごい
そして曲紹介と共に流れてきたのがボンジョヴィのLivin' on a Prayerで沢村のキャラクターを察して笑ってしまった。この曲をラジオにリクエストする奴は絶対にうっとりしながらシンガロングするタイプ、俺にはわかる。オタクの経験則がそれを確信している。案の定「ウェ〜〜〜〜〜〜〜イ!!!!!!!!」と騒々しさ満開で登場する沢村に苦笑い。
コミカルな導入に引きずられて始まった沢村と玄田の休憩中のなんでもないような会話が、部屋を訪ねてきたよそ者の伊舞によってがんがんかき乱されていってジェットコースターみたいにぐんぐん加速していくのが観てて本当に気持ちよかった。気持ちよかったものの、そのベースにあるのは薄暗いもので。罪滅ぼしとか偏見とか職業差別とか。
食肉加工に携わる現場の人 対 外の人、みたいな対比を想像してたけどそんな簡単なものではなかった。同じ場所で働く人たちの中でも抱えるものや立場によって思想はバラバラだし、それぞれに共感できる部分もあれば「どうしてそんな考え方ができるの?」ってぐらいに嫌悪感を覚えるような部分もあった。月並みな言い方だけどすべてにおいて三者三様。
沢村は顔が稲葉友なので好きだけどオタクを馬鹿にするタイプっぽいので一緒に働きたくないな…。伊舞の正体がわかった途端にへり下る態度にもイラっとしたけど、それは「守るべき妻と息子のためにこの仕事を何が何でも手放してはいけない」という沢村なりのプライドの捨て方なんだと後々理解できてなんともいえない気持ちになった。
あと沢村が気にしていた「臭(にお)い」。屠場で働いてれば必ず染み付く家畜の血の臭い。血の臭いなんてイレギュラーなものは外に出れば嫌でも周りの視線を受けるけど、毎日そこに通いずっとその場所にいたら鼻が慣れてしまう。沢村いわく「麻痺」する感覚。その「麻痺」をリセットするために沢村は毎日昼食に味の濃い焼きそばを食べているらしい。別にそれで自分に染み付いた臭いが物理的に消えるわけじゃなく、自分自身の臭いを自覚するためにわざと別のキツいものを食べている、そういう沢村の言葉にハッとした。
学生時代に厨房のある店でバイトしてた時期があって、髪に油の臭いがついて退勤しても帰宅してお風呂で髪を洗っても全然取れないことが最初は嫌だったのに、だんだん慣れてしまって無自覚になった。これはやばいと思い、バイトがあった日は退勤後になぜかニンニクがっつり入ったラーメン食べて自分の臭いを自覚しようとしていた。ということを観劇中そのくだりで思い出し、当時のことが頭の中をバーーーッとよぎりました。どうでもいい私の思い出話。こういうのは芋づる式に思い出しちゃうから困る。
「この建物の塀を越えた途端、どうしてうちの豚はモノになっちゃうんですか?」
このセリフとそれに付随する伊舞の幼い頃の記憶が、個人的には一番ウッ…ってお腹痛くなっちゃうポイントでした。自分の牧場で丹精込めて育てた豚を、どうぞ丁寧に加工してくださいと卸した先で「けったくそ悪い」と思われながら「潰され」ているという胸糞の悪い事実。それに対し「ここに運ばれてくる豚はすでに命ではなく商品だ、何を考えてようが作業には関係ない」という玄田(うろ覚えだけど)。これもまあ分かる。
ちょっとベクトルがずれてるかもしれないけど、死がとても身近にある医療従事者(特に医師や看護師)も玄田の仕事に対する考えに近いものがあるのかなと観劇中にふと思った。患者の死と向き合ううちに、だんだんと他人の死に慣れていく。それがただの作業になる人も絶対にいないとは言い切れない。どこかで割り切らないと仕事って回っていかないんですよね。
なんか全然まとまる気配がないなこの感想。観劇中に頭の中をぐるぐるぐるぐる飛び交う思いとは裏腹に、胸がキューっと締めつけられる感覚もあり…頭と心が忙しかった。めちゃくちゃ胸が痛いのに終わった後はどことなくすっきりしてて、足つぼマッサージみたいな舞台でした。例えが他に見つからない語彙力の欠如ぶりを許してほしい。屠室の高い場所についてるであろう窓から入る光が時間の経過と共にだんだんオレンジがかってきたり、舞台の真ん中にデンと置かれたソファのくたびれ具合だったり、白いゴム長靴を履いて出ていって帰ってきたら赤い血がついていたり、そういう舞台美術や照明の演出もとてもよかった。
劇場の明るさや音や匂い、空気をつたってビリビリ感じる、大声が耳にキーンとくるほど近い役者との距離、そういうのが好きで舞台を観にいくたびに多幸感で満たされる。次の舞台も楽しみです。
本編とはぜんぜん関係ないメモ